ベテランホテルマン在りし日の事件簿 フロントキャッシャー編

先日、久し振りに昔の仲間4人が集まりホテルのレストランで食事をしました。みな70歳以上、全員が肩からショルダーバッグをはずし、椅子の背にかけて座りました。テーブルを担当した中年の女性従業員がメニュー表を配り、おすすめを説明し、そして「お荷物お預かりします」と言って素早く全員のショルダーバッグを手にし、テーブルを離れていきました。食事が終わると、「ありがとうございました」と言いながら一人ひとりに間違いなく両手でバッグを手渡してくれました。このさりげない、素早い行動は私以外の3人にとってはまことに素晴しいサービスでした。ところが私にとっては最悪のサービスだったのです。私のバッグには財布とメガネが入っていました。メガネが無いためメニュー表が見えず、仲間が持ってきた懐かしい写真も見ることができませんでした。

私たち4人はホテルコンサルタントとして、全国に30軒を超えて展開するホテルチェーンの社員教育に携わっておりました。その中で『お客様満足のサービスにおいては、お客様が何人いようとサービス担当者が何人いようと、サービスをする瞬間ではサービス担当者とお客様は1対1で接している。サービス担当者は自分が接している1人のお客様が今何を望んでいるかを即時に判断し、それを行うことによりお客様は満足される』と教えてきました。我々を担当した女性従業員は、同じ格好、雰囲気を持った私たち高齢者集団はみな同じであろうと判断し、一人ひとりの希望を確認しないというサービス上のミスを犯してしまったのです。その上、荷物を預かる際に行う貴重品の有無の確認というサービスの基本中の基本も怠ってしまったのです。

実は遠い昔、私自身「貴重品はございませんか」の一言を云わなかったためにひどい目に会った経験があります。

その日の朝、私はフロントのシフトインチャージとして忙しく働いておりました。すると突然、隣のフロントキャッシャーから女性客の怒鳴り声が聞こえてきました。見ると数ヶ月前から毎週のように宿泊するY様でした。話を伺うと、キャッシャーに預けた紙袋から100万円を入れた封筒が無くなっているとのことでした。私たちのホテルでは宿泊客の荷物はベルデスクで預かり、貴重品はキャッシャーにあるセーフティーボックスにお客様自身で入れていただく決まりになっていました。チェックアウトを済ませたY様は「お客さんと会うのでちょっとの間、預かってくれない?」と言って手提げの紙袋をキャッシャーカウンターに置きました。前夜は満室でフロント周りは混雑しており、ベルデスクではベルボーイ全員が出払いお客様の対応に追われていました。Y様の様子やホテルの置かれた状況からキャッシャーの担当者はとっさの判断でY様の要望を受けました。そして朝の混乱が一段落したころ騒ぎが起こったのでした。キャッシャー担当者は紙袋を預かる時、貴重品の有無確認を怠っておりました。紙袋だから…という無意識のうちに油断してしまったのです。そのため100万円が入っていたと強く主張するY様に対抗することがなかなかできませんでした。(この結末は弁護士による示談で決着しましたが、そこに至るまでの間、私が支配人に同行してY様が経営する会社を訪れた際に、後にも先にも経験したことが無い屈辱的な目に遭い、気短な支配人がこぶしを固めて耐えている姿を今でも忘れられません。)

この一件はサービスの基本を怠ったために起こった事でした。それではホテルの決まりに反してキャッシャーで荷物を預かった件はどうでしょうか。ホテルの決まり事はそのホテルが独自に設定したもので、お客様のためが第一ですが、ホテルの都合上やむを得ず決めた事柄もあります。したがって時と場合によっては“お客様満足”のために決まり事を破る決断が必要となります。この場合特別扱いにならない、他のお客様の迷惑にならない事が前提となります。このケースではY様が急いでいる様子であったこと、ベルデスクが混雑していたことを考えるとキャッシャー担当者の判断は間違っていなかったと思われます。ただ「貴重品はございませんか」のひと言が足りなかったということです。

この記事を書いたのは

坂井 吉彦

大手ホテルチェーンにて宿泊支配人、営業支配人、ホテル開発部門を経てホテルコンサルタントとして大手ホテルチェーンの従業員教育やデューデリジェンス業務など幅広く活躍する。


 

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