入社3年目。宴会営業の失敗談

入社3年目の3月下旬のことだった。
私はホテルの宴会営業課に所属をしていたが、人事部の要請で新入社員研修の手伝いのため研修センターに来ていた。その研修センターに一本の電話が私宛てに入った。当時はまだ携帯電話のない時代である。

「はい、お待たせしました高橋です」

「お前、昨日の教授就任パーティーでどんな手配をしたんだ!」

いきなりの怒鳴り声である。

「え?何のことでしょう?」

「医局長の先生がカンカンだぞ!すぐ戻ってこい!」

私は何が起こったのかさっぱり分からなかったが、冷や汗がわきの下をサッと伝わるのははっきりと感じた。

それは、さかのぼること2か月前のことだった…。

ある大学医学部整形外科の医局()で、見積書を開きながら私は医局長に話しかけた。

「先生、料理が10,000円×100名分で、飲み物代はひとり3,000円と見積もっています。ステージ上の吊看板と卓上花も手配したいと思います。」

「わかった。ところでこの録音料20,000円て何?」

「これはパーティーの祝辞や答辞などを議事録に残されるということだったので、録音をするための人件費です」

「人件費って言ったってさあ、あの会場は音響スタッフが常駐するほどの部屋じゃないでしょ。具体的に何をするの?」

「まあ、会場常設の音響機材に付いているカセットレコーダーの録音開始・停止ボタンを音響スタッフが押す程度ですが…。」

「なんだそれだけか、そんなの音響スタッフじゃなくたってできることじゃないか。宴会サービススタッフか何かにやってもらってさ。20,000円割り引いてよ!」

「えっ!まあできないことは無いですが…。わかりました。そのようにします。」

自分自身、「この程度に20,000円を請求するのは何だかぼったくっているな」と前々から感じていたので、あっさりと了承した。ただこれが間違いの元だったのだ。

研修センターを転げるように飛び出したが、頭の中をグルグルと色々な想像が駆け巡りホテルに着くころには顔面蒼白になっていた。セールスオフィスに着くと部長・次長・課長などが居並んでいて、席につくなり私は問い詰められた。

「高橋、パーティーの挨拶関係全ての録音を頼まれていただろう?だけど祝辞の挨拶の半分しか録音されてないんだよ」

「え、そうなんですか?手配書には『宴会サービスが録音のこと』と書きましたし、私は当日研修でいないので、3日前に会場責任者の鈴木君に口頭でしっかり録音のお願いをしておいたのですが…」

「彼も黒服として忙しくて、うっかり録音ボタンを押し忘れていたらしく、ハッと気が付いた時には3人の祝辞のうち半分が過ぎていたんだとさ。なんで音響スタッフの手配をしなかったんだ!」

その理由を上司に述べたところ

「じゃあやっぱりお前が悪いんじゃないか。お前が何とか収めろ!」

「おっしゃる通り責任は私にあることは認めますが、私ひとりが謝りに行ったところで、ことは収まるのでしょうか?」

そのやり取りをそばで聞いていた佐藤副総支配人が助け舟を出してくれた。

「俺が一緒に謝りに行ってやるよ。副総支配人が謝りに行けば、向こうも収まりがつくだろう」

こうしてその足で、佐藤副総支配人とバスに揺られながら病院の医局に向かったのだった。

待ち受けていた医局長は怒りを抑えながら経緯を話し始めた。

「毎年4回発行している整形外科の会報に今回のパーティーの祝辞内容を掲載しなければならないんだよ。最後のひとりの祝辞は何とか録音されているけど、最初の2人は残っていない。それも名誉教授と来賓の他大学の教授の分だよ。祝辞の内容なんてみんな覚えていないし、かくなる上は恥を忍んで『もう一度同じお話をして下さい』と頼み行かなくてはいけない事態なんだよ。手ぶらで行けると思うか?」

一通りの話を聞き終えて佐藤副総支配人は穏やかに答えた。

「このたびは取り返しのつかない事態を引き起こしてしまい、誠にご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございません。ただ過ぎてしまった時間を取り戻すことはできませんので当ホテルとしましてはお金で償わせていただくほかございません。それでご容赦いただけますでしょうか?」

その後、具体的な金額提示をしたが、副総支配人がすぐに足を運んで頭を下げたことや、最初から思い切った金額提示をしたことで先方の医局長もなんとかホコを収めてくれた。私といえば副総支配人の隣で一緒に頭を下げて、二人のやり取りをジッと聞きいているだけだった。なんとも情けなかったが、ホッとした。

正直、それまでは佐藤副総支配人に対して「存在感を感じさせない人だな」と侮っていた気がする。ただこの厳しい場面でなんと頼もしく感じたことか。一生の恩を感じた。

この件では、安易な判断が思いもよらぬ大きなトラブルに発展して、多大な損失を被ることがあるという教訓を、嫌でも私に深く刻み付けた。

半世紀たった今でも忘れることができない、苦い思い出である。

※内容は事実に基づいていますが、登場する人物の名前は架空のものです。

※医局とは一般的には医師の執務室・控室を指す。転じて大学付属病院の診療科ごとの教授を頂点とした人事組織を医局と呼ぶ。医局長はその診療科医師の中で事務局長のような立場。准教授や講師がなるケースが多い。

この記事を書いたのは

奥泉 剛

大手ホテルチェーンの都内シティホテルにて、法人宴会セールスに従事。その後、派遣業界に身を投じ事務系や料飲系派遣の営業として勤務。現在は(株)INGにて転職相談責任者としてコーディネート業務


 

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